● アメリカの大学院留学時より「チベット問題」のリサーチ・取材を続けて参りました。 このコーナーでは、「チベット問題」に関する様々なトピックを取り上げます。 皆様と「問題点」を共に考察できれば幸いです。(*コラムを公式ブログにて再開(May 23, 2007))
■ Apr. 2, 2002
「チベット難民の思い」
去る3月23日、横浜市の市民センターでチベット難民の話を聞く会があった。 主催したのは、西依珠美さん。10年以上に渡り個人の力で「チベット問題」を 日本で啓蒙されている方だ。『チベットの現実』、『ダラムサラ・北京(チベット 亡命政府と中国政府との往復書簡)』などの本も発行されている。「チベット問題」 を考える上で格好の書籍なので一読をお勧めする。
さて、この会のゲストスピーカーは27歳のT氏。チベットのアムド地方(現在、 中国の青海省)からインドに亡命し、現在、日本人の奥さん、1歳になるお子さんと 東京で暮らしている。異民族(漢民族)の共産主義システムにより自由を制限される という閉塞状況から逃れたかった、と亡命の理由を語るT氏の言葉に現在チベットで 暮らすチベット人の思いが端的に伝わってきた。しかし、チベットを出ても決して 自由ではない。国境を超えネパールに入った瞬間からT氏はそのことを実感する。 ネパールの地元民から地元警察への口止め料として金をせびられ、ネパール警察の 必要な追跡にも遭う。何とか、チベット亡命政府のあるダラムサーラに辿り着き、 そこで暮らすうちに現在の奥さんと出会った。
夫人方の御両親の猛反発にあいながらも結婚し日本で暮らすことを決めたのだが、入国の際は非常に嫌な思いをしたそうだ。入国管理事務所でチベット人だと告げると、「あ、では、中国人ね」と役人に無神経に言われた。日本の御役所の国際感覚など今更言わずもがなだが、入管でもこの程度なのだ。
結局、T氏は難民としては認定されず、日本人妻の旦那ということで入国を許可された。「チベット問題」に関する日本政府の腰抜け対応には全く呆れかえるばかりだ。欧米諸国の中国政府に対する毅然たる態度を見よ!それでも、T氏は日本に来て良かったと言う。「この様に自由にお話が出来る日本はとても素晴らしい。(中国統治の)チベットではこんな自由はありませんから」。
参加者からの「チベットのチベット人達も今でも独立を欲しているのですか」との問いに、T氏は毅然と答えた—「チベットの人々は皆、変わることなく独立を求めていると思います」。1988年にダライ・ラマは独立要求を断腸の思いで捨てた。それ以来、中国政府にチベット人による完全自治を一貫して求めている。しかし、民衆の思いは、やはり「独立」なのだ。彼らの複雑な心境が「国家」の意味を改めて私自身に問い掛ける。
ビデオ上映を挟んでの短い講演会では会ったが、中身の濃いものであった。「チベット問題」の当事者である難民に実際に話を聞くことは「チベット問題」を考える上で重要だ。しかし、残念ながら、参加者15人ほど。"高僧"や芸能人などを使った「イベント」には多数の人間が集まるが、この様な地道な会には人が来ないところに、「チベット問題」や「チベット」をめぐる日本の状況が端的に現れている。本当の意味での日本人とチベット人との相互理解・相互交流は、横浜での様な一般の難民を囲む会の積み重ねにより培われていくものだと信じる。横浜の会が終わった後に笑顔で語らうT氏と参加者の姿に、その思いを一層強くした。
■ Apr. 5, 2002
「隗より始めよ」
中東情勢が緊迫の度合いを深めている。正に危機的状況だ。93年にラビン首相(当時)とアラファト議長がノーベル平和賞を受賞した意味は一体何であったのか。「イスラエル問題」にもダブル・スタンダードの方針を取るアメリカは、ようやくパウエル国務長官を事態収拾のための特使として派遣するという。まったく、遅きに失した感だ。ところで、新華社によると、中国の唐家セン外相は3月31日、イスラエルのペレス外相と電話で会談し、「パレスチナ自治政府のアラファト議長に危害が加えられれば、中東に悲惨な結果を招く」との認識を示した。 唐家セン外相は「イスラエル軍のパレスチナ自治区からの即時撤退」を要請。「イスラエル、パレスチナ双方が、衝突収拾と和平交渉の再開に向けて、具体的な対策を取るべきだ」と主張した。
正に正論であり、ごもっともな内容のコメントである。がしかし、このようなコメントを 中国政府は出せる立場にあるのだろうか— その政府は、チベット自治区やウイグル自治区などの国内の"少数民族"自治区に様々な政策により不当な圧力をかけ、漢民族による支配構造を更に強化している。"少数民族"の「自治区」であるはずが、その幹部のほとんどが漢民族。これでは、「自治」などまったくの絵空事である。2000年にチベット自治区では共産党書記が変わった。前任者は"少数民族"に対する弾圧的な方針で有名であったが、漢民族。そして、大方の予想に反して(?)、後任者はチベット人の幹部からは選ばれず、又も漢民族。これに加え、「西部大開発計画」などのプロジェクトを通じて中国政府は更に多数の漢民族の人々をチベットへ移住させようと計画している。更に、人民解放軍が駐屯してチベット人に睨みを利かす状況は変わりない。人権侵害の酷さもアムネスティインターナショナルのレポートなどにより明白だ。この様な状況で「チベット自治区」などと呼べるであろうか?
唐家セン外相の言葉を借りて「チベット問題」に当てはめてみよう—「チベット自治区のチベット人たちに危害が加えられれば、中国に悲惨な結果を招く」。「人民解放軍のチベット自治区からの即時撤退」。「中国政府、チベット亡命政府双方が、和平交渉に向けて具体的な対策を取るべきだ」。イスラエルに進言するならば、中国政府は自らの国内の自治区にも同様のことをしてしかるべきであろう。
中国には良いことわざがある—『隗より始めよ』。「物事はまず言い出した者から、やり始めるべきだ」との意である。
■Apr. 26, 2002
「ブッダガヤ』
今年の1月から2月にかけて、インドのブッガヤを取材のために訪れた。ブッダガヤとは、言わずと知れた、シッダルタが成道し仏陀となった場所である。その成道を記念した高さ約50メートルの大塔が聳え立っている。現在も、仏教の最高の聖地として、世界各国から、仏教徒だけではなく様々な宗教の人々が訪れている。
さて、取材だが、チベット仏教の最重要儀式の一つの「カーラチャクラ儀式」であった。15年ぶりにこの地で行われるということで取材を決めたのだが、ダライ・ラマ14世の急病により儀式は延期となった。このダライ・ラマ急病の一件は、正に「チベット問題」に関して"象徴"的な出来事である。この事については、後日、記す。
キャンセルになったことは残念ではあった。しかし、それを忘れさせる喜びが待っていた。チベット人の友人達との再会である。仕事のスケジュールを調整して急遽インド行きを決めたので、現地の友人の誰にも連絡していなかった。法王がブッダガヤでカーラチャクラ儀式を行うというので、多くのチベット人やチベット系の人々が各地から−チベットからも−来ていた。ブッダガヤの小さなエリアに、何と、70万人以上が集まっていたのだ!「とても皆には会えないだろうな」−これが、現地に着いて群集を目の当たりにした時の心境だった。しかし、やはり「カルマ」はある。到着したその日から、次々と再会を果たすことが出来たのだ。皆一様に再会を歓喜してくれ、3年前に350キロのピースマーチを共に歩き通した若い尼僧などは、「あー!!」と言ったまま握った手を離さなかった(笑)。改めて、彼らと、仏教や「チベット問題」のことなどを語り合った。
夜、無数の蝋燭の炎に照らし出された大塔を友人と一緒に"korwa"(聖地を廻ることにより霊的な力を得ようとするチベット人の宗教行為)をしていて、「チベット問題」の行く末、ダライ・ラマの思い、チベット社会の民主化、延いては、仏陀の悟りにまで思考は広がっていった。「ブッダが観た "世界"とはいかなるものか」—ふと見上げると、大塔の上空に金星が燦然と輝いていた。
ところで、この仏教の聖地に滞在していて、"奇妙"なプロジェクトが進行していることを友人から聞かされた。『マイトレーヤプロジェクト』と名づけられたそのプロジェクトは、チベット人のあるリンポチェ(高僧)と欧米・台湾人などにより進められ、 ブッダガヤに世界最大規模のマイトレーヤ(弥勒菩薩)像(約150メートル!)を建てることを主目的としている。菩薩像建立の候補地に、プロジェクトの展示会場が設けられていたので覗いてみた。パネル資料によれば、菩薩像の内部は各フロアーに分かれ、エレベーターで繋がる。そのフロアーは各種の仏や菩薩像が置かれた「仏・菩薩の間」になり、高名な僧侶達の遺髪、遺骨など(聖物とみなされている)も展示されるそうだ。加えてなんと、チベット僧院も像の中に置かれるという!その巨大な菩薩像を中心とする建物の全体図を見た時、怒りと共に笑いがこみ上げてきた。これは、正に、"Spiritual Disneyland" ではないか!全く意味の見出せないプロジェクト。その理由を以下簡単に—
1)ブッダガヤには、既に、ブッダの悟りを記念した高さ52メートルの歴史的な大塔がある。
この巨像が建てられることにより、その場の"雰囲気"が破壊される。
2)(仏教では偶像崇拝を諌めているが)先の大塔には既に多くの歴史的仏像が存在している。
更に、ブッダガヤには各国の寺や仏像が多数作られている。何故、改めて、巨像など建立
する必要があろう?
3)ブッダガヤではインフラ整備(下水・水道など)が未だ十分に進んでおらず、地元の多くの
住民は貧しく劣悪な環境に住している。更に、大塔及び周辺は、多くの信者・観光客が訪
れるが故、非常に汚れている。もし、巨大な菩薩像などを建立する大金があるのならば
何故、その資金を仏教の最高聖地の清掃・整備に充てないのか?
プロジェクト運営者である先のリンポチェは、プロジェクトのパンフレットの中でこう語っている—
「この巨像を通じて、我々は、我々の心を慈悲心に変えることが出来るのです」
釈尊が聞いたら卒倒するだろう。
チベット難民である友人は溜息交じりに言った。「こんな物を建てる御金があるのなら、 どうして真に苦しんでいる難民達のために使わないのか。菩薩像は、我々がチベットへ戻った後に作りたければ作れば良い...」
「spirituality(霊性)」は存在すると私は信じます。しかし、真のspiritualityの周りに如何に多くの偽物(者)が纏わりついていることか。チベット仏教も例外ではないと思います。やみくもに信じ込まずに、冷徹に相対化客観視し、偽物(者)と本物(者)とを見抜くことが肝要でしょう。この姿勢は、正に、釈尊が教えたことに他ならない。
P.S. 『マイトレーヤ・プロジェクト』について詳しく知りたい方は、以下のサイトに
(英語・イタリア語のみ)。 http://www.maitreyaproject.org/index1.html
■Sept. 11, 2002
「中国政府の意図」
今月の9日にダライ・ラマの特使が北京入りした。中国政府が特使の受け入れをした のは1993年以来である。今年に入り、北京とのパイプ役であるダライ・ラマの実兄 (青年時、中国でも教育を受けた)も中国入りしチベット自治区などを視察していた。 この一連の状況から、一部の専門家は「中国がチベット政策を調整し始めた現れと」と 捉えている。
しかし、ロンドンをベースとするTibet Information Network(TIN)に寄れば、チベット自治区における宗教統制は厳しさを増し、 チベット人とって宗教的に重要年である今年・午年、聖山カイラス(カンリンポチェ)への巡礼が制限された。又、幾人かの政治囚が(アムネスティなどの活動により)釈放された一方、ラサの悪名高きドラプチ刑務所に新たな独房棟が建設されている。
この事実からすれば、「チベット政策の調整」とはチベットの管理の強化に他ならない。
では、今、中国政府がダライ・ラマの特使を受け入れる理由は何か。 一つには、チベット政策のある程度の完成に伴う"自信"がなせる行動だろう。ラサの歴史的伝統的建築物は、ポタラ宮殿や一部の寺院を除き破壊され、かつてのチベットの聖都・ラサは、今や、ほぼ、中国の一都市の様相となった。更に、経済政策により、ラサには百貨店なども作られ西側諸国と変わらない物で溢れている。チベット人の若い世代は言うまでもなく、チベットの伝統文化や生活を直接知る老世代も「物」に囲まれた生活環境に影響されている。町のあちこちで携帯電話をかけるチベット人の姿は全く珍しくなく、家にはテレビが入り込んでいる。そして、「漢民族移住政策」によりチベット人と漢族の人口比率は既に逆転している。ここに至り、中国政府は目指していたチベットの中国化の完成を信じ、もう誰も(ダライ・ラマでも)この流れを変えることは出来ないと確信したのだろう。「西部大開発計画」によるチベットの" 近代化"政策(中国本土とチベットを結ぶ鉄道建設など)の着実な進行が、彼らの確信を更に堅固なものとしているとみられる。
もう一つは、対外的なパフォーマンスである。チベット政策の正当性や成功を海外にアピールするため、中国政府はあらゆるプロパガンダ手段を取っている。この十年、ダライ・ラマを中心とするチベット亡命政府の広報活動の成功に脅威を感じ、宣伝活動を積極化させている。終には、アメリカのPR会社の協力まで得ているのだ。海外メディア、有力政治家、国連職員などをチベットに招き入れることで、中国政府はそのイメージの改善に躍起だ。今回、ダライ・ラマの特使を招き入れることで、一気にその流れを加速させようとしているのではないか。しかし、これはあくまで表向きの単なるパフォーマンスなため、「チベット問題」の本格的な話し合いを始める意図は無いと思われる。だから、ダライ・ラマ側は特使が中国当局と93年以来の公式接触再開のため北京入りしたとしているが、孔泉(中国報道局長)は「私人の身分でチベット自治区を訪問する」と述べ、公式接触の有無の確認は避けている。
さて、もし公式接触がなされた場合、どうなるであろう。
93年の接触の際は、「チベット問題」の話し合いの「前提条件」を巡って交渉は決裂した。中国政府は亡命政府に対し、「チベットは古来、中国の一部である」・「台湾は独立国家ではない」ことを認めねば交渉は再開出来ないと言ったのだ。 チベット自治区だけではなく、青海省の一部(アムド地方)と四川省の一部(カム地方)をもチベットであるとし、その地域の完全自治を主張する亡命政府がその条件を飲める訳が無かった。更に、台湾のことなど、どうして関係があるのかも理解しがたかった。 さて、今回も、93年と同様、中国政府が「交渉」に前向きだとは思えない。更なる 前提条件を付け加えることは必至であろう。その条件を亡命政府は飲めるのか? 飲んだ場合、40年以上に渡り(独立を信じ)非暴力闘争を続けてきたチベット人達は一体どんな反応をみせるのか?
67歳のダライ・ラマの悩みは尽きない。
■Sept. 21, 2002
「特使訪中のニュース」
先に、ダライ・ラマの特使が1993年以来の訪中をしたことは述べた。この訪問を巡り 欧米メディアが少ない情報から様々な推測を伝えている:
* ワシントン・ポスト(2002年9月11日付/北京支局長・John Pomfret):
「ダライ・ラマの特使がラサと北京を訪問したのは、1984年以来初めてだ」
「中国のこの動きは、その政府が、チベット統治は寛大で配慮の行き届いたものであるとのイメージを(国際社会に対し)与えようとする企てである。この数ヶ月間に、 中国政府は刑期を終えた6人のチベット人政治囚を釈放した。その中には、何十年も牢獄で過ごしたTanak Jigme Sangpoが含まれていた。 西側のジャーナリストが、 近年では珍しく多く、その地域(チベット自治区)に招待されている」
「中国政府は異なる方策の中でチベットを考え始めている」
「1993 年に全ての公式な接触が途絶えてから、中国政府はチベット亡命政府を無視し続け、67歳のダライ・ラマの死をひたすら待っている。しかし、2年前、影響力の有るフリーライター・Wang Lixiong が" ダライ・ラマは未来のキーパーソンだ"と題するパンフレットを北京で配布した。その中で、Wang は"北京政府は、ダライ・ラマ無しではまともに機能しないチベット亡命政府とでは、『チベット問題』の解決において一層の困難に直面するであろう"と指摘している。更に、彼は、"今が解決に向けて動き出す時である"と論じる。何人かの政府関係者は彼の意見に同意している」
「Jamphel Gyatso(中国在住のチベット人学者)は次のように述べた。『個人的には、中国政府とダライ・ラマとが対話をしてもらいたい。しかし、11月8日に開催される第16回党大会の前に何か動きがあるとは思わない。Gyatsoは相対的に政治的には中立とみなされているが、"中国のこの動きは国際的な圧力によるものであって、その政策に基本的な変化は無い"ことを憂慮している」
(2002年9月10日付 /北京支局長・John Pomfret)
「Huang Hao(チベット問題の中国人専門家)は次のように述べている。『私は、ダライ・ラマの特使が如何なる中国人上級指導者とも会見するとは思わない。何故ならば、 ダライ・ラマがその態度を改めていないからだ』」 (注)(Huang Haoが言及したのは、中国政府の「ダライ・ラマは中国からのチベット独立を画策している」との主張だ。 実際、ダライ・ラマは独立を既に放棄し、中国国内でのチベットの完全自治を要求している。)
* ロスアンジェルス・タイムス(2002年9月11日付/ Henry Chu):
「表面上の断交の背後で、中国政府と亡命政府の水面下での非公式な接触は続いている。中国国外からの圧力が強まり、(国内のある関係者は)北京とダラム・サラ の間の膠着状態に変化が生じていると指摘している」
「外部の圧力の大半は米国政府からである。中国国家主席・江沢民は、来月、テキサスでブッシュ大統領と会うことになっている。江は、この一日だけの首脳会談を何とかスムーズに終わらせたいと考えている。 この秋の主席交代に伴い、中国No.1としての主要な外交はこれが最後になるだろう」
「主としてワシントンをベースするGyari(特使の一人)は インターナショナル・キャンペーン・フォーチベットと協力関係にある。ワシントンにあるこのNGOは、中国政府の チベット政策を激しく非難し続けている」
* ニューヨーク・タイムス(2002年9月11日付/ 北京特派員・Erik Eckholm ):
「過去において、この一連の会談を中国メディアは軽視している。散発的な会談は この40年の間に開かれたが、中国政府は一貫してダライ・ラマのチベットへの帰還を 認めていない。更に、仲介者を伴う殆どの会談は公にされていない」
「インドのダラムサラをベースとする亡命政府関係者は"特使は滞在期間中に中国政府高官と話し合いを持つ"と予想している。しかし、具体的な日程や議題を提示していない」
「今日、定期会見の中で、『チベット人国外追放者の一行は私人の身分で中国へ戻ることを許された』、と孔泉(中国報道局長)は語った」「孔は続けて『彼らは、観光とチベットの親戚や友人を訪ねるために訪中した。中国政府は、一行がチベット人が如何に生活に満足し宗教の自由を享受しているかを確認してくれることを願っている』『彼らはあらゆるレベルの人々と会い、意見交換をする機会をもてると私は確信している』 孔はそう言って、非公式会談の可能性を示唆した」
* Asosociated Press ONLINE(2002年9月9日付):
(特使訪中の最初のニュースが明るみに出た後の公式の米政府の反応)
—米政府広報担当官・リチャード・バウチャ—は以下のように述べた—
「アメリカ合衆国は、中国がチベットの精神的指導者・ダライ・ラマの特使を迎え入れたことを大変嬉しく思う。相互理解が促進することを望みます」
「我々は、ダライ・ラマの特使であるLodi Gyari氏が9月9日に北京に迎えられ、チベットの首都であるラサに訪問する予定であることを知って喜んでいます」
「ブッシュ大統領や政府高官は中国指導部と、ダライ・ラマ或いはその代表者との対話の必要性について話し合っています」
「対話を通じて長年の不和が解消され、その結果、宗教の自由を伴う一層の自由が チベット人達にもたらされるであろうことを信じています』
「特使の訪中は、政府のチベット問題特別調整役であるPaula Dobrianskyに希望を与え、 彼女は、これは相互理解を促進する機会であり重要な第一歩であると考えている」
さて、日本のメディアはどうであろう。唯一、毎日新聞が(比較的)"積極"的に報道していた:
【ラサ(中国チベット自治区)浦松丈二】チベット自治区政府のレグチョク主席は16日、自治区を訪問中の外国記者団と会見し、インド亡命中のダライ・ラマ14世の特使2人と会談したことを明らかにした。レグチョク主席は「中央の許可を受けて会った」と述べており、中国当局とダライ・ラマ側との対話が93年以来9年ぶりに再開した。会談は15日午後、約1時間にわたってラサ市内で行われた。レグチョク主席は「2人は私人の身分で親類や友人、企業訪問などのために来た。私から自治区の発展状況などを説明した。今後も親類訪問などの形で彼らの要望を受け入れていく」と述べ、ダライ・ラマ側に交流を呼びかけた。ダライ・ラマ側は今月9日、特使2人が中国当局と93年以来の公式接触再開のため北京入りしたと発表していた。レグチョク主席は今回を含めて特使を「私人代表団」として受け入れていく方針を明らかにした。中国政府がダライ・ラマの「亡命政権」を承認していないためとみられる。一方で主席は「ダライ・ラマは単なる宗教家ではなく、長期に渡って中国を分裂させる活動に従事してきた」と批判。ダライ・ラマとの直接対話については(1)チベット独立の主張を放棄し、祖国の分裂活動を停止する(2)チベット、台湾が中国の一部であることを認める——ことが前提条件との主張を繰り返した。ダライ・ラマ側によると、特使はロディ・ギャリ駐米特別代表とケルサン・ギャルツェン駐欧州連合(EU)代表の2人。ロディ氏は過去の対中接触でも中心的な役割を果たしてきたといわれている。中国側によると、2人のチベット地区訪問は半世紀ぶりという。
■Sept. 22, 2002
「チベット難民の反応」
今回のダライ・ラマ特使訪中を巡り、マスメディアでは様々な推測が飛び交っている。 さて、では、当事者たるチベット難民の気持ちはどのようなものか。
「ニュージーランド・フレンズ・オブ・チベット(Friends of Tibet,NZ)」代表・ツゥテン・ ケサ
ンは以下のようなメールを寄越した。
「将来のチベット関して、私は既に中国政府との交渉に何の期待も抱かなくなっている。特使が
北京に迎えられたが、中国政府は 『かつての愛国者が休暇で中国を訪問し、親戚などを訪ねる』と
言っている。中国政府は未だに『ダライ・ラマはチベット及び台湾は中国の一部であり、共産党
政府は中国の正当な政府であると認めねばならない』と主張しているのだ。 もし中国政府がその
主張を変えなければ、 "交渉" など始められるわけがない。これが、私の見解だ。 したがって、
今回の訪中には余り期待していない。私の予測が 間違っていることを祈ってはいるが...」
この見解は、彼だけではなく、一般のチベット人達に共通しているものだ。中国政府に対する疑念は深い。
以前、ダラムサーラなどで難民の密着取材をした際、彼らの「チベット独立」に対する真摯な思いや熱い感情が良く分かった。表面上は、敬愛するダライ・ラマの「完全自治方針」を支持するとは言っているのだが、本心では 「独立」を疑いもなく希求している。だから、ハンガーストライキやピースマーチ(平和行進)の スローガンはいつでも「RANGZEN (チベット語で"独立")」なのだ。ここに、チベット難民の葛藤が有る。
チベット人知識人の中でも最も積極的に政治的発言をしているジャムヤン・ノルブは、公にダライ・ラマの「完全自治方針」を批判している。ノルブ曰く、「ダライ・ラマが独立を放棄し完全自治に方針を転換したことで、チベット人は失望し、チベット独立運動は停滞した。 実際、ダライ・ラマは1994年の"民族蜂起の日"のスピーチで、独立の方針を 転換した過ちを認めている」 ノルブは、1999年に発表した『Rangzen Charter(独立憲章)』と題された小冊子の中で、 「独立の方針の下に、チベット難民は一致団結して行動しなければならない」と強く主張した。その最初のページに次の言葉が掲げられているー
「If one does not know which port one is sailing, no wind is favorable
(もしどの港に向かうのか分からなければ、良好な風など吹いては来ない)」
(Senecaの言葉より)
政治囚として27年もの間拘禁され、レイプ・飢餓など虐待の限りを受けたチベット人女性・ アデ・
タポンツゥアンは、 私のチベット難民のドキュメンタリー第一弾・『チベット難民-世代を超えた
闘い』の中で、こう語っている。
「中国政府が私に対して行った虐待の数々を私は決して忘れない。杖を突いてでもこの体験を語り
続けていく」 「チベットが独立し、ダライ・ラマ法王がポタラ宮殿に戻る日を願っています」
1987年にその独立方針を転換し「完全自治」としたダライ・ラマの苦渋は相当なものだったはずだ。彼は数々のインタビューの中で、「完全自治政策しか、チベットの文化・アイデンティティーを保持する方法はない」と 語っている。 つまり、中国の中で、"チベット"を存続させる以外に道は無いと考えている。 その一方で、 ダライ・ラマは「チベット問題の解決には中国の民主化が不可欠」、「チベット自治区だけではなく、アムド州 (中国の青海省)とカム州(同、四川省の一部)を含めて完全自治」、
そして「チベットは歴史上独立国家であった」と主張している。
以前にも述べたが、中国政府は、「チベット問題」の交渉再開には「チベット・台湾は中国の一部」であることをダライ・ラマが認めることが前提条件であると主張している。
ダライ・ラマはチベット人やチベット仏教信者などから、「生き仏」、「観音菩薩の化身」 などとされ崇拝されている。 しかし、(彼とインタビューした者の私見では)ダライ・ラマは誠実な人間であり、悟りなどしていない。真の仏教徒として苦悩しながら「現実」と格闘している。実際、一般のチベット難民だけではなく、ダライ・ラマ自身も深刻な葛藤の真っ只中にいるのだ。
■Oct. 4, 2002
「特使の声明」
ロンドンを拠点とするNGO・Tibet Information Network(TIN)に拠れば、18日間の 中国・チベット滞在を終え、ダライ・ラマの特使がチベット亡命政府のある北インドの ダラムサーラを9月27日に訪れた。
特使の一人であるロディ・ギャリ氏は言葉を慎重に選びながらも自信に満ちて次のように語っている。「(特使は)将来における定期的な(チベット亡命政府と中国政府との)直接会談を可能にする前向きな雰囲気作りをするためのものであった」「(直接会談は)(中国・亡命政府)双方が同意する解決策を必ず導き出すでしょう」。 ギャリ氏は1980年代初めの時も今回と同様に代表団のリーダーであったが、「感動したのは、前回に比べて今度の訪問では、現指導部が非常に率直に胸のうちを明かしてくれたことです」「彼らは我々の説明に熱心に耳を傾け、率直に意見を交換してくれた。このことを非常に感謝しています」
ギャリ氏の声明は、今回の特使がダライ・ラマの提唱する「中道政策」を推し進めるものであったことを明らかにしている。 ダライ・ラマの「中道政策」とは、中国国内における (中央政府の直接支配を受けない)完全自治を目指し、(チベット難民の多くが希求してやまない)チベットの独立を放棄する政策である。
この声明は又、今回の特使の訪中は中国との新たな関係の幕開けであるとの(ギャリ氏の)楽観的な見方の表れでもある。 彼は、チベットにおけるチベット人高官のチベット経済発展に対する献身や高い能力を認めた。しかし同時に、今回、特使はチベットの経済発展計画を示されただけであり、経済発展はチベット独自の文化・宗教・言語遺産の保護と 共に行われねばならない、と主張した。
ギャリ氏の声明を受けて、チベット亡命政府の首相であるサムドン・リンポチェ氏はダラムサラのチベット亡命政府議会に対し、「今のところ、今回の特使の訪問がチベットの将来に関する実際の交渉に繋がるか否かを話すのは尚早である」と語り、が同時に、「2003年の7月を目処に交渉を開始できることを望んでいる」とも話している。
サムドン・リンポチェ氏が楽観的な見方をせず慎重な態度を保っていることは尤もだ。 中国人及び
チベット人高官は未だにダライ・ラマを「分離主義者である」と激しく非難しているし、中央政府の
指導部もチベットにおける人権侵害など「全くの作り話」だと言い放っている。
今月、江沢民がアメリカを訪問しブッシュと会談する。先月30日、サムドン・リンポチェ氏は世界のチベットサポーター達に向けて声明を発した。江沢民が訪米中は公の抗議 行動を控えるよう呼びかけたのだ。これにより、中国政府の「直接会談」再開に対する 本気さ・誠実さを試そうというのだ。彼の声明文は以下のように締めくくられている:
「今は、我々の非暴力闘争におけるきわめて重要な時期です。世界的な'チベット運動'が一体と
なって今回の様な重要な問題に対処できるかは、この上なく重要なこと です。国際社会がテロ、
暴力、そして戦争により脅かされている現在、我々の姿勢は、対話、非暴力、そして和解を望む
力強い意志表示となるでしょう」
百戦錬磨且つ"狡猾"な中国政府がこのようなことで態度を変えるとは考えにくい。しかしながら、第十回「五カ年計画」(2001−2005)の中で、"チベット自治区"に対し約千八十億ドルもの資金が投入され(チベットの中国化を伴う)経済開発が加速されることを考える時、一日も早い「直接会談」の再開を願わずにはいられない。
*諸事情で数年「コラム」を中断していました。近々、「ブログ」で再開します。
「チベット問題」そして「チベット難民」を巡る状況は全く改善していない。否、
更に悪化している。(April 2007)
*コラムをブログにて再開しました。(May 23, 2007)